中屋敷イストワール

中屋敷イストワール

特定施設 サービス付高齢者向け住宅

お問い合わせ0739-33-7332

アクセス

JR紀伊田辺駅から約6分 / 阪和自動車道 南紀田辺インターチェンジから約9分

天神崎

熊野古道中辺路ルート
牛馬童子像
天神崎

鬪雞神社 (イストワールより徒歩15分)

鬪雞神社は、通称「権現さん」と呼ばれ、御祭神の中には、熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)も勧請(かんじょう)されています。熊野三山の別宮的存在で熊野信仰の一翼を負っていました。また、壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社で、勝負の神様としても御利益があるともいわれています。 鬪雞神社の名の由来は、「平家物語壇ノ浦合戦」の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。

※2016年10月、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に闘鶏神社が追加登録されました。

南方熊楠顕彰館 (イストワールより徒歩3分)

和歌山県出身の博物学者、南方熊楠(みなかたくまぐす、1867~1941)の功績を顕彰する施設で、2005年6月に南方熊楠邸にオープンしました。南方熊楠は、博物学、宗教学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、特に菌類学、変形菌類学などの日本における初期の代表的な研究者で、海外遊学の後、37歳から田辺市中屋敷に在住しました。顕彰館では、彼が遺した約2万5000点の蔵書や書簡などの資料を保存、公開しています。また、南方熊楠旧邸についても、熊楠翁往時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修工事に着手し、2006年3月に工事が完了し、大正年間の姿を取り戻しました。

世界遺産 熊野古道

田辺市は熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で、いにしえから「口熊野」と呼ばれてきました。熊野本宮大社をはじめ熊野参詣道、熊野九十九王子社跡などはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれています。

熊野古道中辺路ルート
牛馬童子像